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ピアノソナタ (デュカス) : ウィキペディア日本語版
ピアノソナタ (デュカス)

ピアノソナタ 変ホ短調は、ポール・デュカス1899年から1900年にかけて作曲したピアノソナタ
== 概要 ==
デュカスは極めて自己批判の厳しい作曲家として知られる。音楽に真摯に向き合い熟考を重ねた結果、1890年代には序曲『ポリュークト』、『交響曲 ハ長調』、交響詩魔法使いの弟子』のわずか3曲しか完成されなかった。これらの作品に続いて彼が手がけたのがこのピアノソナタであり、完成された本作はデュカスの第1級の作品となったばかりでなく、フランスのピアノ音楽史に金字塔を打ち建てることになった。
1871年国民音楽協会の設立に象徴されるように、19世紀終盤のフランスの音楽界には音楽による国威発揚と舞台音楽中心の現状からの脱却を狙う機運が高まっていた。多くの作曲家が管弦楽曲、器楽曲に優れた作品を作曲したこの時期のフランスに、ピアノソナタの分野で主要な作品が生まれなかったのは、偉大なピアノソナタ群を遺したベートーヴェンに対する強い畏怖の念があったからだとされる〔。そうした中で意を決して書かれた本作において、闇の中から勝利へと向かう構成等に関してベートーヴェンの影響が取り沙汰されるのは道理といえるかもしれない〔〔。また、一方で見過ごすことが出来ないのはデュカスの母校であるパリ音楽院の教授、また国民音楽協会の会長として楽壇から多大な尊敬を集めていたフランクの存在であり、この曲の響きやオルガンの即興演奏に見られるような特徴的な経過句にはフランクの影響が指摘される。あるいはこの両者を合わせて「フランクによってフランス風に解釈されたベートーヴェン」を見出す向きもある〔。デュカスは、しかし、そうした先人の発想を咀嚼した上で独自の語法を提示しており、清澄な和声によって展開される贅肉をそぎ落とした堂々たる古典的ソナタは、他に類例を見ない傑作に仕上がっている〔。
デュカス自身は1915年にこの曲について次のように述べている。「(私が書いたのは)私が音楽に込めようとした内なる獣性に対する勝利と、もうひとつの偉大な勝利、すなわち地平のあらゆる方向から現れて我々が外なる獣性、その非常に現実的でほとんど醜いもの(汚いというべきかもしれない)、そして当時は知る由もなかったものを踏みつけ打倒する助けとなる勝利、この2つの間の類似性である。これらが象徴的な類縁性を有するに過ぎないと思うかもしれないが、それは唯一音楽家だけが理解できるものである(中略)ここに書かれていることはそういうことなのだ〔。」
初演は1901年5月10日サル・プレイエルにおいてエドゥアール・リスレのピアノによって行われた。初演は大きな成功を収め、作曲者の友人であったドビュッシーも曲を称賛するコメントを寄せている〔。曲は1906年に出版され、サン=サーンスへと献呈されている〔。
この曲は批評家のエドワード・ロックスピーサー(Edward Lockspeiser)が述べるように「長大かついささか難解〔Lockspeiser, p. 92〕」であるため、これまで主要レパートリーとはなってこなかった。しかし、近年ではマルカンドレ・アムランマーガレット・フィンガーハットなどのピアニストによって取り上げられている〔Nicholas, p. 74.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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